日本のチップ設計者育成と半導体業界再興について考える

2024年11月5日、技術研究組合最先端半導体技術センター(LSTC)は、NEDOの最先端デジタルSoC設計人材育成事業の委託先に採択されたことを発表した。

プレスリリース

LSTCとは、ラピダスをはじめとする国による半導体産業再興の流れで生まれた令和4年設立の半導体技術の研究機関で、米国が設立したNSTC(National Semiconductor Technology Center)の日本版などと言われたりするが、実際のところはラピダスのファウンドリ事業を側面支援する国プロの実行組織と考えてよいだろう。ちなみに、ラピダスもLSTCもそのトップに君臨するのは同一人物、元東京エレクトロン会長の東 哲郎氏である。

そのLSTCがNEDOの「最先端デジタルSoC設計人材育成」事業を請け負うことになった。請け負うのはLSTCだけではなく、米国のAIチップベンチャーTenstorrentも名を連ねている。

TenstorrentはすでにLSTCが受託している別のNEDOプロジェクト「エッジAIアクセラレータの開発」向けに自社製のIPを納入しており、LSTCのアクセラレータ開発にも協力しているという立場。そしてラピダスはこのTenstorrentに対して、自社ファブの最初の顧客の一人になってもらうべく公式にラブコールを送っている。

以上を踏まえると、LSTC、Tenstorrent、ラピダスの関係性が分かると思うが、今回のNEDOの公募に応募したのはLSTC/Tenstorrentの1件のみで、そのまま採択されている。

発表によるとSoC設計人材育成プロジェクトは、5年間のプロジェクトとして下記3つのコースが用意され、延べ1,000人のエンジニアが参加することが想定されている。

① 上級コース:シングルナノ半導体の設計人材育成コース、TenstorrentでのOJT
② 中級コース:28ナノ以細のロジック半導体の設計人材育成コース、東大/産総研 AIチップ設計拠点を活用した回路設計基礎・応用講座
③ 初級コース:基礎的な設計人材育成コース、最先端EDAツールに特化した利用法講座

※画像は経産省公開のデータ

報じられているところによると、このSoC設計人材育成事業の予算は最大75億円。TenstorrentでのOJTは最長2年間で、計200名のエンジニアを送り込む計画。エンジニア200名はOJTでタダ働きとなるため、LSTCがその人件費や渡航費などを負担、TenstorrentはOJTの受け入れ費用として推定数億〜数十億のお金を受け取る形となる。当然ながら、中級コース、初級コースの講座に関わるAIチップ設計拠点やEDAツールベンダへ支払う費用も予算75億円の中で賄われるはずだ。

今回、「SoC設計者の育成」を目的に国が(NEDOが)75億円という予算を用意してくれたことは半導体業界にとって非常に有り難い話であるが、いかんせん額が少ない。半導体が産業の生命線になると訴えるのであれば、せめてこれまでラピダスに投じた支援額の5%くらい(450億円)の予算を割り当ててもおかしくないだろう。東京都が高校無償化などで今年度だけでも600億円近い予算を組んでいることを考えると、国の最重要産業の担い手育成に5年間で75億円ではいささか寂しすぎる。

とはいえ、これまでラピダス、TSMCと半導体ファブの再構築に半導体予算の殆どを投じてきた国が、「SoC設計人材の育成」に目を向けてくれたことは非常に大きな意味がある。工場があっても半導体製品を設計する人材がいなければ、半導体産業が回らないのは業界関係者であれば周知の事実であり、バランスはさておき「半導体再興」という経産省のスローガンの下ようやく製造と設計の両輪に公金が投じられるようになった訳だ。

しかし、ここであらためて今回LSTCが受託した「SoC設計人材育成事業」について考えてみよう。

まず一番気になるのが「TenstorrentでのOJT」。どういった検討を経て「Tenstorrent」に決まったのだろうか? 国内にも先端のSoC設計技術を持つ会社は幾つかある。税金を使うという意味でも、まずは国内企業でのOJTを考えるのが妥当だろう。また、OJTという手法は受け入れ先企業によって大きく成否が左右される可能性がある。社員数500名規模の特定の海外ベンチャー企業1社に200人を送り込むという計画に対するリスクはどう考えているのだろうか?

国内企業を中心に、半導体ベンダに限らずセットメーカー、自動車メーカー、場合によっては海外EDAベンダなども視野に複数の受け入れ先を用意し、エンジニアの希望するキャリア形成に応じたOJTを行う。それが理想に近いあるべき姿ではないだろうか。

もしこの話が、LSTC、Tenstorrent、ラピダスというスキームありきの計画だとしたら非常に残念だ。ファブを回転させるために設計者を増やすという発想だとしたら本末転倒である。

そもそも「半導体再興」と聞こえは良いが、これまで国が取り組んできたのは半導体製造手段の構築・確保ばかりで、半導体設計側の取り組みは手薄だった。半導体産業を活性化させるためには減ってしまった設計者の育成は必須だが、それ以上に半導体ビジネスの芽を育てることが重要だろう。そもそもなぜ半導体設計者が減ってしまったのか? なぜ日本では半導体ベンチャーが育たないのか?

ファブレス半導体ベンダの上位企業の大半を抱える米国は、製造手段を確保できれば地政学的にも半導体業界は概ね安泰だろう。しかし日本はそうはいかない。製造手段と合わせて人材とビジネスを育てないことには「半導体再興」はない。そういった意味で今回LSTCが考えた「TenstorrentでのOJT」という策は、一つのヒントになるかもしれない。

近隣の台湾、韓国に比べると数はまだまだ少ないが、プリファード・ネットワークス、EdgeCortix 、ティアフォーなど、日本でも独自の半導体を設計するベンチャーが出てきている。人材とビジネスを育てるのであれば、こういった自国の半導体関連のベンチャーにより大規模に投資し、そういった企業にOJTとして人材を送り込む方が遥かに日本の半導体産業の活性化に繋がるだろう。ベンチャーはコストをかけずにエンジニアを確保でき、エンジニアはベンチャーの最先端の現場で実践的なスキルを身につけることができる。合わせてソシオネクストやルネサス エレクトロニクスなど既存の大手半導体ベンダでもOJT可能な枠組みが実現できれば、人材の流動性が更に活性化するはずだ。

「半導体再興」のためには、半導体産業を人の集まる夢のある産業に作り直す必要がある。そのためには半導体の製造インフラを整えるだけではなく、新たな価値・ビジネスを半導体で生み出す半導体ベンチャーの育成が一つの鍵となるのは間違いない。そう考えると税金を使ってエンジニアをOJTというアイデアは、国内の半導体ベンチャー育成とうまく掛け合わせれば、あながち愚策ではないかもしれない。

= EDA EXPRESS 菰田 浩 =
(2024.11.12 )